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実戦武術界に多大な影響を与えた希代の名人 王郷斉宗師
意拳の歴史
王郷斉宗師写真 王郷斉
1886-1963
 国手と呼ばれたほどの名武術家。
 「半歩崩壊あまねく天下を打つ」とうたわれた達人・郭雲深に形意拳を学び、 さらに中国各地を遊歴し、各派名手と交流研鑚を重ねる。 その成果として、旧来の套路(型稽古)を廃し、站椿を中心とした革新的な修行体系を確立した。
 意拳の創始者である王郷斎先生は、1886年11月26 日(中国歴10月27日)、河北深県魏家林村で生まれた。彼のかつての名前は尼宝といい、宇僧とも呼ばれていた。その後、郷斎という名になった。
 彼の父親は
郭雲深から形意拳を習って いたので、八歳になった時、当時形意拳の師匠として最も有名であった郭氏のところに送られた。郭氏はいつも、自分のベッ ドの側で、王に站椿をさせた。冬には、王の站椿の足跡が十分に湿っていなければ、郭は王をにらみ付けて、立ち続けるように指示した。王は大変熱心に稽古したので、 とても短い時間で師匠の教えをマスターし、郭氏のお気に入りの 生徒となった。13歳で彼は、有名な武術家を数m「飛ばす」ことのできる技術があったので、とても有名になった。
 1907年に王郷斎は故郷を離れ、軍隊の兵士となった。呉軍司令官は、彼の戦闘技術を称賛していたので、その後自分の息女と結婚させた。子供時代に一度も学習しなかったのに、王郷斎先生の筆が立つのはこのためである。 1913年、22歳の時、陸軍武術機関の主任に昇進した。 
 1918 年に、武術の技術をさらに向上させ、研究を続けるために、中国全土を旅することに決めた。その当時、最も技が優れているとされた武術家達を探し、それぞれと喜んで技比べをし、そこから学ぼうとした。河南、湖南、湖北、福建、その他各地へと 赴いた。河南の嵩山少林寺では、僧侶の衡林の協力のもと心意拳の研究をしながら、寺で数ヶ月暮した。1923年に、彼は鶴拳の方恰庄、金紹峰に出会い、親しい友人となった。1925年に淮南で心意の有名な武術家である黄慕樵に出会い、 健舞を習った。
姚宗勲先生写真 姚宗勲
1917-1985

 19歳で王郷斎に入門。その類まれなる才能と不断の努力により、王郷斎の名代として他流試合をおこない、ついには意拳(大成拳)の名声と不敗神話を築いた。
 1941年、王郷斎より「継郷」の称号を賜り、事実上の意拳の継承者となる。近代的な意拳の発展に多大な貢献を果たした。
 1929年に王郷斎は、現在中国武術で参考となっている『意拳正軌』を出版した。1939年、王郷斎は意拳について、いくつかの記事を「実報」という 新聞に書いた。結果として、ますます武術家が北京を訪れた。 しかし、その誰一人として王の門下生であった 姚宗勲を負かすことは出来なかった。 その時から、意拳はその評判が広く知られるようになり、その名声は揺るぎ無く、やがて「国手」と呼ばれるまでになり、その居を北京の中南海に構えることとなった。 当時の北京市長である張玉衡氏は、意拳の実力とその科学的な理論が優れているこ とを称えて、「大成拳」と名づけ、当時の通称名となった。1963年7月12日、享年78歳で偉大な王先生は天津にて亡くなった。

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