中国武術意拳 宗勲武館日本京都分館 オフィシャルホームページ
鋭い波動衝撃を与え相手を粉砕するその凄まじい衝撃は想像を絶する
意拳の特徴「散手編」

ただ自然に体が反応するまま、相手が出てきたところを踏み込んで粉砕する
姚承光老師散手写真 キックにしても空手にしても、一般的にはまず相手に触れることから闘いが始まる。つまり、こちらからから仕掛けるにせよ、受けるにせよ、まず両者が近づき接触し、それからダメージを与えるべく技を繰り出す、という手順をとることに変わりはない。ところが、意拳はその最初の接触で勝負をつけてしまうのが特長だ。

 相手の攻撃を一旦ブロックし、それから反撃・・・といったプロセスをとらず、触れた瞬間にすでに相手を粉砕しているのを理想としているのである。これは剣道でいう「先の先」である。相手の気配を察知して、実際に斬りかかってくる前にこちらが斬ってしまう、もっとも安全で効率のいい倒し方である。もちろん、そのためには相手の動き出しと同時に動かなければならない。相手の動作を見てから反応するのでは遅いのだ。

 意拳では、ただ自然に体が反応するまま、相手が出てきたところを踏み込んで粉砕する。この「自然な体の反応」こそが先の先を成立させるものだ。



なぜ、そんな反応ができるようになるのか?
姚承光老師散手写真 それが站椿や試力の効果なのである。静止状態やゆっくりした動きのなか、すなわち「静」の稽古のなかでは意識と肉体の連結を高める訓練が行われる。この静的な訓練を積んでバッテリーが満ちてくれば、言い換えるなら意識と肉体が直結するようになれば、今度は「動」の稽古、すなわち散手のなかで自然に理にかなった動きがあらわれるようになる。站椿や試力は、練習者自身が本来備えている自然の反応力を伸ばす稽古なのである。


有形無形
姚承光老師散手写真 有形とはあらかじめ用意された既成の形。一般的によく行われるコンビネーション練習などはその典型だ。しかし、有形の練習ばかり追っていては、本物の技は一生できない。無形とは稽古のたびごとに、散手のたびごとに新しく生まれる動きである。自然と自分の中から生まれてくる動きだ。意拳の稽古とは、自分のなかの無形を追う稽古なのである。



意拳で求められる攻防のあり方
姚承光老師散手写真 意拳の稽古とは、自分のなかの無形を追う稽古。これは稽古をするたびに毎回新しく表れる、もっとも自分らしい動きを求めることである。既成の動きを覚えこむことではないのだ。したがって、あらかじめ手順の決まったコンビネーション練習などは、意拳では行わない。パンチに対するカウンターの例を示す事もあるが、このパターンを反復練習したりするのではない。相手の動きに対する自然な反応の結果として、迎撃の形が成立すのである。そしてまた、これが成立するように稽古を積むのである。

 我々がカウンターでの対応を善しとする理由は、まず直に攻撃を受けずにすむことがあげられる。相手の攻撃を未発に封じる場合、充分に打たせた場合も、そのパワーをもろに受け止めることはない。加えて、相手は攻撃動作の最中なのでこちらの反撃を防御できないということもある。

 さらに言えば、威力が大きいこともあげられる。突進してくる相手にあわせるから破壊力が大きく、倒しやすいわけである。もちろん、カウンターは簡単ではないが、意拳では蹴りであれパンチであれタックルであれ、このような対処をベストとしていることを理解してもらいたい。そして、その対処を可能にするための反応力養成訓練が站椿であり試力なのである。


姚承光老師散手写真


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